ロバート・スミッソンのテクストがすごく、面白いです。
まだ彼の書くテキストの全容を掴みきれていないので、どう面白いのか説明しきれないのですが、じつは、それは彼のテキストが難解だから、とかいう以上に、彼の文章の構成の気まぐれさによるものなのではないかとこのところ気付きました。自分の経験談から出発してそこから連想ゲーム的に話を広げ、結論を出すかと思いきやまた話を逸らす、というような展開につきあううちにとんでもない所に連れて行かれるジェットコースター的文章は、言い換えれば典型的なまでに経験主義的なスタンスで書かれているということで、それだからこそ、絵画・彫刻・建築、、等々の、合理主義的枠組みを軽々飛び越えた次元においてテキストを展開し、それにとどまらず自分でソルトレークに巨大な渦巻きを描いたりというようなことを思いついてしまってなおかつ実行に移すことができるんだろうな、と邪推します。
今日はTowards the development of an air terminal site(1967)というテキストでスミッソンの勉強会でした。勉強会ができる、というのは院生の特権だろうと思うので興味がある人はどうぞ言ってください。

「コロッサル・ユース」ペドロ・コスタ監督

前作「ヴァンダの部屋」の主人公ヴァンダが、今度は脇役で出ていたのですが、前は廃墟同然の一室でガリガリに痩せて電話帳を削って吸ってたヤク中の彼女が、今度は白い壁の清潔な部屋で暮らしていたのがショックでした。子供を産んでヤクをやめて、旦那ともうまくいっていて、日中はテレビばかり観ているヴァンダに以前の過酷さはなくて、普通のおばさんになっていました。
だからこそ、今回の主人公ヴェントゥーラの魅力が際立つはずなのですが、妻に逃げられ、入居するつもりもない部屋を見学して回ったりしている老齢の彼は、情けない感じは良いけれどなんだかそれほどでもなくて、どちらかといったら暗めの映像美にじっと耐える2時間半、でした。寿命が縮まりそう。
画面比が1:1,33という、まぁ正方形に近い比率だったのですが、補正がうまくいかないのか、画面が台形状になっていました。珍しい。長めのスティルショットが多いので、こういった瞑想映画の類は、展示にも向くのでは?と思いました。
折しも、大阪国立国際美術館で「液晶絵画」という展覧会があるようです。すごく良いタイトルだなーと思うのですが、出展作家はおおよそ定番のようでした。つまり森村泰昌やなぎみわ千住博、揚福東、ジュリアン・オピー、ビル・ヴィオラ、、、。

あと関係ないですが、今日もらったメールによれば、一年の半分は6月31日なので昨日ではなかったみたいです。よかった。寿命を取り戻した気分です。

気付けば夜が明けて

6月1日になった、ということはつまり1年の半分が過ぎた、ということですが、それはつまり今年は週に一度水泳に行って体力をつけよう、などと新年に目標を立てた?にもかかわらず一度も行かないまま半年が過ぎた、ということで、なんというか、泳げばよかった、というよりも、こんなことなら目標になってないんじゃないか、とか、そもそも目標とか要らなかったんじゃないか、とか思いつつ、、明日はペドロ・コスタ「コロッサル・ユース」を観に行きます。
なぜ体力をつけたいかというと、それは稲刈りとキノコ狩り、そして去年はPerfumeが出たらしいサマーソニックのフェスティバル、に備えてのことですが、映画鑑賞というより暗闇の中での苦行に近かった前作「ヴァンダの部屋」を上回ると評判の今回の作品なら少しくらい鍛錬になる、かも?

真空管とその周辺の部品

耐圧450Vの部品なんて誰が買っていくんだろう?重いし、かさばるし、飴玉みたいな変な形していて何に使うんだろう一体、と、秋葉原の部品屋で常々疑問に思っていましたが、今日は自分が買いました。
真空管テルミンをつくろうと思って。

その後森美術館ターナー賞展に寄ってきました。
牛の作品ばかりが話題にのぼりますが、じっさい、かなりの破壊力でした。牛の死体のホルマリン漬けとかきっと業者に特注したに違いないですが「何に使うんですか一体??」と、訊かれただろうなぁ、と思います。

突堤、そして湖畔

今日はロバート・スミッソンの勉強会でした。テクストは、ランドアートについての最初の小論と言われる、"A Sedimentation of the Mind: Earth Projects"でした(未邦訳ですが、タイトルだけはWikipediaに「精神の沈降:アース・プロジェクト」と訳されているようです)。
おそらくは、新しい概念の導入に先立ってのイニシエーション的な意味があるのか、アリストテレスプラトン、カント、マクルーハンなどを次々と引き合いに出してくるので、片時も気が抜けない、という感じのテクストで、しかしまぁ、憎いほど綿密に構成されているので、なんというか、実作をしている芸術家がこんなインテリなテクストを書くのか??と脱帽です。未邦訳なのがほんとうに残念。

とか、なんとか思いながら文献の表紙にあるスミッソンの写真を見ていたら、何かに似ていて、なんだろう、と思ったらあれでした。
ゴダール、でした。
スミッソンが自らの代表作「SpiralJetty(渦巻く突堤)」に立つ写真、つまり、物憂げに水面に立ち、本人とその反射を撮らせている構図が、ゴダールの「JLG/自画像」でやはり本人の、レマン湖畔でのモノローグ場面のそれに、とても似ているように思えました。似てるでしょう?
この類似はたまたまというよりはおそらく言葉による必然できっと、物憂げな自分→「考察」としてのReflection、水面の反射→「反射」としてのReflection、で掛けことばをして遊んでるんだろうと思われます。



引越し

引越しをすることが決まりました。7月からです。
寮なので、念願の一人暮らし、ではなく、いわば800人暮らしといったところですが、とりあえずは、新しい環境に身を置くことになるわけで、これがとても、とてもとても嬉しいです。

これまで幾度も、引っ越そうとしてできなかったことに比して、あまりにあっさりと決まったためなんだか嘘のようで、書類とか届くまではやっぱり嘘かもしれないですが、きっと本当だと思います。

家財などは備え付けてあるそうなので、べつにここで、冷蔵庫ゆずってください、とかアナウンスするわけでもないんですが。服と本のほかは、なんだろう、ヤカンとかお皿とか買っていけばいいんだろうか、金魚は飼っていいんだろうか、いや、でもやはり金魚は実家に置いていったほうが、、、とか、めでたい雑念でいっぱいです。